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近松賞選考結果

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第3回「近松賞」選考結果

第3回近松賞受賞作   該当者なし

近松賞優秀賞   『女かくし』保木本 佳子 / 『竹よ』泉 寛介

第3回「近松賞」は2005(平成17)年5月1日から6月30日の締切までに、海外2カ国のほか全国35都道府県から246作品の応募がありました。
1次審査で38作品、続く2次審査で最終候補作品として10作品を選出し、12月2日(金)午後2時から5名の選考委員による選考会を行った結果、近松賞の該当作品はなく、優秀賞2作品を決定しました。
受賞作品には、12月17日(土)に行われる表彰式で、表彰楯と副賞50万円(出版権料、税含)が贈呈され、2006(平成18)年3月までに選評を掲載した冊子を発行します。

第3回「近松賞優秀賞」受賞者

保木本 佳子

優秀賞受賞者
保木本 佳子(ほきもと けいこ)さん
〈 大阪府大阪市在住 〉
優秀賞受賞作
『女かくし』(めかくし)

泉 寛介

優秀賞受賞者
泉 寛介(いずみ ひろすけ)さん
〈 兵庫県三田市在住 〉
優秀賞受賞作
『竹よ』(たけよ)

『女かくし』 あらすじ

冬の予感を思わせる、肌寒い日。
六畳の部屋に暮らす女と男。
人魚姫にあこがれる作家志望の女と、
嘘つきな男。

二人は付き合っているような、いないような、
一緒に暮らしているような、いないような、
二人で居たいような、そうでないような、
好きなような、好きでないような。
何もかも本当のようで、嘘のようで、
何を信じてよいのか、悪いのか。
どうしたら幸せだと満足できるのか。
そう思いながら、現実と空想、本音と嘘、大人と子供、朝と夜を行き来する日々。

いつまでも現実から目を逸らし続けられないところまで来た男女が、今さら大人になろうとする、
そんな外とうちのお話。

保木本 佳子さん受賞の言葉

とても嬉しいです。この受賞は私をいつも支えて一緒に生きてくれている、大好きな劇団ガバメンツの仲間と親友と家族のお陰です。
初めて戯曲を書いて、何と書き出せばいいのかすらわからなかった。沢山の人に助言していただきました。ただひたすらにが むしゃらに、私にはこのお話しか書くことが出来なかった。欲張りで迷ってばかり、足の生えた人魚のような話。
みんながいてくれたから書き上げることが出来ました。私が受賞したことを一緒に喜んで泣いてくれる友達がいて、私はラッキーです。
本当にありがとう。そしてこれからもよろしく。

「女かくし」は2月に上演予定です。私の思いが大切な仲間達の手で形になるのを皆さんも見て下さい。素晴らしい出会いと運に守られたこの作品が、見た人の心に響くことを祈っています。
ありがとうございました。

『竹よ』 あらすじ

夜がたけて、朝になろうとしている。
1人の屁理屈文学青年サコタが、ノートを手にしてぶつぶつとつぶやく。それは詩のようで、屁理屈のようである。
サコタは次のように主張する。「これからはこの世界を文学が形作っていく」と。
サコタ、ハギワラ、タロウの3人は、どこにでもいるような無気力で自立心のない現代風の若者達である。
サコタの安アパートに集まった3人は、今日もくだらない話で時間を埋めていく。3人は、サコタのアパートの裏にある竹薮を、そこにある何かを求めて探検することになる。
当然何も出てこないはずだったが、その日は違った。竹薮の中で銃を発見したのだ。その銃の出所や、なぜ落ちているのか、それどころか、それが本物かどうかさえわからない3人。
そこから話は急激に展開していく・・・わけもなく、それはおいといてくだらない話は続く。サコタ、その銃で銀行強盗をしようとする。
だが、そんな大それたことをする以前に面倒くささが勝ち、彼ら特有のわけのわからない理由で、その計画そのものも流れてゆく

流れ流れてゆく3人。行き着く先に変化はあるのか。それとも平坦なまま終わるのか。
意味のない日常会話は本当に意味がないのかどうか、また、劇的な展開は必然的に起きるのか、それとも偶然的に起こるものなのか
それを問うために、「物語」の意味について直接的に問い掛けるような姿勢と無駄な会話のみを喋るキャラクターたちを配置し、それによってリアルな人物たちの行動が、滑稽な「芝居」へと変化する様子を描く。 サコタの主張や問い掛けは、問い掛け自身に意味があるのか、また、意味のない会話だけの芝居に意味はあるのか。それらの意味論を芝居という形式で問うていくことによって、意味がないところにある何かを表現しようと試みる。

泉 寛介さん受賞の言葉

今回は、素晴らしい賞をいただき、ありがとうございました。
嬉しいです。正直に。すごく嬉しい。人生の貯金を全部使っちゃった感さえあります。むしろ借金してるかもしれません。
というか、僕なんかでいいんでしょうか。これ本当に率直な意見です。だから受賞のお電話をいただいたときも、「へー、そうなんですかぁ。すごいですねぇ。」とか、どこか他人事。
いや、もちろん選んでいただいた先生方を疑っているわけじゃないですよ。
ちゃんと判断していただいて、選ばれたと思っていますし、それと同時に、僕の書いたものにも、それくらいの価値があるんだ。嬉しい!とも当然思ってます。
・・・頭では。頭では思っているんだけど体はそう思ってくれない。
そういうのって言葉ではすごく伝えにくいんですよね。
・・・あ。だから戯曲を書くのか。

もっと、そういう感じを表現できるように邁進してゆくつもりです。
今回は本当にありがとうございました。

選評 -受賞作について 選考委員 太田省吾

平成17年12月3日(土)尼崎市内のホテルニューアルカイックにて発表会

昨日、第3回〈近松賞〉の最終選考を行い、大賞なし、優秀賞ニ作という決定を致しました。
この二作について記します。

保木本 佳子作 『女かくし』

この作品は、六畳の部屋に暮らす作家志望の女と、共に暮らす男の話。海の泡のように浮いては消えるさまざまの話題を通して、生き方においても関係においても定まるところのない生活を、これ以上モラトリアム状態をつづけられないといったところで、ややあせり気味に語られていく。通俗的話題(結婚相手はどんな人がよいとか、子供を産むのはどうとか)を関西弁の明るい口調でしゃべりつづけられる。
この通俗的な口調をどう見るか。否定的な意見もあったが、現代の若者の一つのリアリティーとして評価された。
演劇的な工夫として、大勢の人の群れが出てくるが、この存在を隣近所の社会の眼よりずっと深くから二人を射る眼としたら、より深みをもった作品となったのではないか、といったもう一歩の工夫の要望も出された。

泉寛介作 『竹よ』

これは、萩原朔太郎を意識した作品である。主人公の三人の役名が、ハギワラでありサコタでありタロウであることでそれが示されているし、全編に顔を出す竹によってもそれが知れる。
しかし、その意識の仕方は、(今回も何本かあったが)作家の伝記や新解釈の作品の意識の仕方とはまったく異ったものである。(役名を呼び合うこともないから、上演時には、朔太郎は姿を消すといってもよい)
作者には朔太郎への、あるいはあの時代の詩人へのあこがれがあり、それと向き合うことで、現在芝居の台本を書いている自分を意識しようとしている、そういう意識の仕方である。
思索者、アフォリズム作者としての〈白昼の私〉と抒情詩人としての〈夜の私〉をともに大きな、明確なことばで語ることができた朔太郎、そのようなことばは語れない現在の作者。
作品は〈悲しき玩具〉ともいえぬような、卑小なことばをひたすらしゃべる三人の話で進行する。
途中に挿入される、プロレスラーと老人たちの挿話は、工夫の余地あるが、現在演劇をやることの難かしさを、ただことばとして語るのではなく演劇の構造として示そうとした、作者の演劇方法探りとして興味あるものだった。 今回の最終選考に残った10作品、全体にはやや低調というという印象を受けたが、若い2氏の受賞で以降の期待を感じることのできた選考であった。

近松賞選考委員(敬称略、50音順)
  • 太田 省吾 (劇作家、演出家)
  • 栗山 民也 (演出家)
  • 別役 実 (劇作家)
  • 水落 潔 (演劇評論家)
  • 宮田 慶子 (演出家)

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