尼崎ゆかりの抽象画家

白髪一雄記念室

子ども向け解説ページ

白髪 一雄しらが かずおさんについて学んでみよう


このページは、子ども向けのコンテンツです。
小学生のみなさんは、学校行事や調べ学習・図工の教科書(日本文教出版 図画工作5・6下)などで、作品を見ることがあるでしょう。
白髪一雄さんのことを知りたい! という児童のみなさん、ぜひこのページを活用してくださいね。

白髪一雄さん

1.人物

白髪さんは、1924年 に尼崎で生まれました。
兵庫県立ひょうごけんりつ尼崎中学校あまがさきちゅうがっこう(今の県立尼崎高等こうとう学校)で絵画部に入ったことがきっかけで、画家を目指すようになります。
京都の学校で日本画にほんがを学び、卒業後は油彩画ゆさいがを描くようになりました。


《尼崎出屋敷与茂川》1948年

2.尼崎のスケッチ

左の風景画は、白髪さんが1948年に描いた「尼崎出屋敷与茂川でやしきよもがわ」(水彩画)です。
尼崎のほかにも、大阪・神戸・京都など、周りの地域の絵を描いたスケッチもあります。
近くに住んでいる人は、今の景色と見比べてみましょう。当時は、橋が木製だったことなど、絵の中にいろいろな発見がありますね。


尼崎のアトリエでの制作風景

3.足で描く!

この写真は、白髪さんが足で絵をいている様子です。
天井からつるしたロープにつかまり、油絵具を使って描いています。
画面の上を、素足ですべって描くこの方法は「フット・ペインティング」と呼ばれ、力強く緊張感きんちょうかんのある作品が生み出されました。


4.「具体(ぐたい)」で活躍

1955年、白髪さんは具体美術協会ぐたいびじゅつきょうかいという、若い芸術家たちのグループの会員になりました。
リーダーの吉原 治郎よしはら じろうさんは、会員に「ひとの真似をするな、今までに無いものをつくれ」と指導をしました。「具体」のメンバー達は次々と、さまざまな素材やパフォーマンスをとりいれた新しい表現による作品を発表し、人々をおどろかせました。
「具体」は、日本だけでなく世界的に注目されるようになりました。


《天富星撲天雕》1963年

5.作品を見にいってみよう

白髪さんは、2008年に83歳で亡くなるまでの間、たくさんの作品を描きました。
尼崎市総合文化センターには「白髪一雄記念室」があり、作品や資料などが展示されています。ときどき、テーマによって展示するものを変えています。
写真ではなかなか伝えられない「作品の迫力はくりょく」をぜひ、見にきてくださいね。

※ご注意※
「白髪一雄記念室」は、休館日・年末年始・メンテナンスのために閉まっていることがあります。
このページで休みの日と、開いている時間を確認しましょう。
子どもだけで知らない場所へ出かけることは大変危険です。 中学生以下の方は無料で記念室に入ることができますが、出かける前に必ず、保護者ほごしゃの方の許可きょかをもらうか、保護者の方と一緒に来てくださいね。