展示内容

白髪一雄記念室 第5回展示「白髪一雄と芦屋」

(2015年04月11日~2015年09月13日)

 白髪一雄は尼崎の呉服店の長男として生まれ育ち、画家となってからも自宅の中にアトリエを構え、亡くなるまで尼崎で制作に励みました。白髪独特のアクション・ペインティングのルーツは、自身が語ったように尼崎にある貴布禰神社の夏祭りに強く影響を受けています。そして、尼崎に深い愛着をもつ白髪は、地元の文化振興への協力を惜しみませんでした。また同時に、白髪の活動の足跡を辿ると、芦屋との縁も深かったことがわかります。

 白髪と芦屋の関わりは、白髪が京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)の日本画科を卒業してすぐ洋画に転向し、大阪市立美術館付属絵画研究所で学んだ後、芦屋在住の画家・伊藤継郎のアトリエに通うようになったことから始まります。伊藤は当時、戦災を逃れた貴重な絵を描ける場であった自宅のアトリエを開放して研究会やデッサン会を開いていたため、そこに白髪のような若い画家たちも集いました。そして白髪は、伊藤の勧めで伊藤が所属する新制作派協会の展覧会に数年間出品することになります。
 白髪はその後、芦屋を拠点として戦後日本の前衛美術をリードした「具体美術協会」(通称「具体」)に活動の場を移し、主要メンバーとして国際的に活躍するようになります。「具体」のリーダー吉原治良は、芦屋市美術協会の代表でもあり、同協会主催の芦屋市美術展覧会(芦屋市展)や児童創作美術展(童美展)の審査員を務めるなど、芦屋の美術界全体をリードする人物でした。
 「具体」の会員たちは芦屋にある吉原の自宅兼アトリエに集って吉原の指導を受け、白髪も含む多くの会員たちが芦屋市美術協会に所属し、市展の審査員を務め、童美展にも協力するなど、芦屋の美術に関わるようになります。
 こうして芦屋の美術界の活況に関わった白髪は、地元尼崎の美術振興にも積極的に力を注ぐようになります。

 当記念室には、白髪が伊藤のアトリエに通っていた頃に描いた人物ドローイングが多数保管されています。今回は、それら白髪の最初期といえるドローイングや新制作派協会に出品した作品、また、芦屋市展に出品した作品などを展示し、白髪と芦屋の関わりについてご紹介します。

※2015年4月24日(金)、4月25日(土)、6月16日(火)は休室いたします。

《本能の結集》
(1952年)
《文B》
(1954年)
《無題》
(1959年)
《天傷星行者》
(1959年)
 
《聚》
(1992年)
 

 

 

次回予告

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